サイレンススズカ |
サイレンススズカ、1997年2月にデビュー。デビュー戦を快勝して、その名前を轟かせるが、続く弥生賞では大きく出遅れてしまい8着。その後500万下、プリンシパルステークスを連勝して、日本ダービー出走権を獲得する。しかし、ダービーでは抑えて走らせて9着と敗れる、これ以降サイレンススズカは逃げに徹するようになる。 その後、神戸新聞杯2着、マイルチャンピオンシップ15着、香港国際カップ5着と、3歳では成績が振るわなかったが、この1年でサイレンススズカの大逃げというスタイルが次第に完成していき、翌年の快進撃に結びついて行く事となる。 翌年4歳初戦、バレンタインステークスを快勝したのを皮切りに、中山記念(G2)1着、小倉大賞典(G3)1着、金鯱賞(G2)1着と重賞を連勝し、宝塚記念に出走する。そして、メジロブライトやエアグルーブを抑えて、悲願のG1初制覇を成し遂げる。 その後、毎日王冠(G2)を難なく勝利し、天皇賞秋に出走する。G1でありながら、単勝1.2倍の1番人気であり、2番手以下を10馬身差をつけていたので、誰もが勝利を疑わなかったが、第4コーナーで骨折。安楽死処分となった。 武豊は、サイレンススズカを、ハイペースで逃げても、直線で失速しないので、1番勝ち易い馬だったと評している。 |
2006/10/02
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